日中国交正常化40周年 北海道・中国交流デジタル資料館

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翁琪忠氏作

北海道・黒竜江省友好提携25周年を記念し、札幌在住の書道家、翁琪忠氏に書いていただいたものです。

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北海道と中国の心温まる交流の物語を10のエピソードで紹介します。

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交流物語 北海道と中国の心温まる10のストーリー

中国のスクリーンに映った『北海道(ベイハイダオ)』
~映画がつなぐ北海道と中国~

お互いの国や地域のことを知るのにどのような方法があるでしょう?
地図や写真を見たり、旅行に行ったり、友人の話を聞いたり、小説や歴史書を読んだり・・・。

近年、北海道のことをとても鮮明に中国の人々に伝えたものがあります。
それは『映画』。

北海道は最近、様々な国内外の映画の撮影地になっていますが、とりわけ中国での映画の力は、とても大きなものでした。

一本の映画が変えた北海道観光

2008年12月に中国で公開された正月映画『非誠勿擾(邦題「狙った恋の落とし方」)』は、公開後わずか19日間で興行収入が3億元(約41億円)を突破し、それまでの中国国内での歴代興行としては1位を記録する大ヒット映画となりました。

ストーリーは、投資で大金持ちになって“理想の妻”を探しに旅立つ適齢期の中国人男性を主人公にしたラブコメディで、脚本・監督の馮小剛(フォン・シャオガン)氏が、四川大地震や世界経済危機などで生まれた中国の人々の心の影を取り除き、心の底から喜んで幸せになってほしいという思いを込めて製作した映画です。この物語がクライマックスを迎える後半の舞台となったのが北海道です。釧路、網走、斜里、厚岸などの静かで美しい景観がスクリーンいっぱいに広がり、その数々の場面が多くの人たちの脳裏に焼き付いて、中国人の北海道観光ブームを巻き起こすこととなりました。

公開後まもない2009年2月頃から、中国の大手旅行会社によるロケ地ツアーが実施されるようになり、また、ちょうどその頃、日本政府が個人観光客へのビザの発給(2009年)を開始し、2010年には個人の観光ビザ発給要件緩和、さらには、中国との直行便が増えたことが追い風となり、北海道に訪れる中国人観光客が激増しました。

2007年度の中国からの来道者数は2万6,950人でしたが、この映画の公開後、2009年度には10万6,200人、2010年度には13万5,500人(北海道経済部観光局調べ)となり、この映画がきっかけで「北海道に行ってみよう」と思う中国人が増えた大きな要因となりました。2009年には、北海道観光に貢献したとして、北海道知事から馮監督に感謝状が贈られました。

©配給:(株)ニトリパブリック、サン・バイ・サンワークス(有)

映画によって古くから知られていた『北海道(ベイハイダオ)』

『北海道(ベイハイダオ)』という地名は、中国では古くから知られています。文化大革命後の1978年から80年代前半にかけて中国に日本映画ブームが起き、高倉健主演の〈幸せの黄色いハンカチ〉(ロケ地:夕張市)や〈遙かなる山の呼び声〉(ロケ地:中標津町、美幌町など)などにより日本が知られました。また、日高山脈や広大な牧場を舞台とした〈君よ憤怒の河を渉れ(中国名:追捕)〉(ロケ地:浦河町)は、中国人の80%が観たという調査もあり、『北海道』が強く印象づけられた映画とも言われています。

こうした映画を何度も繰り返して観ることにより、北海道へのあこがれを強くした人も多く、馮監督もまさにその一人です。映画『非誠勿擾』の北海道シーンで主人公の友人“ウーさん”役を好演した宇崎逸聡さん(上海出身)は、この映画のプロデューサーでもあります。馮監督同様、中国で観た日本映画で北海道に熱い思いを抱いた人物で、馮監督と宇崎さんがロケハンで北海道を巡って見つけた光景が、次々と脚本に描かれていきました。

『非誠勿擾』北海道ロケうらばなし

釧路市経済部観光振興室の渡部港吾さんは、厚岸町の国泰寺で撮影された地元有力者の葬儀のシーンで、ボディーガード役として出演しています。

渡部さんは、北海道のフィルムコミッションから「釧路湿原を案内してもらえますか」と相談され、2008年6月の関係スタッフの来道の際、寺院や小さな教会、まっすぐな一本道などの撮影地の選定を手伝いました。「そうこうしているうちに、7月には宇崎さんが来て、8月にはもう撮影が始まりました。最初は、監督や主演の方のことも知らなくて、後から中国では大変有名な方だとわかり、ビックリしました」と当時の様子を語ってくれました。

馮監督に初めて会った時に「日本のヤクザのシーンがあるから出てね」と言われた渡部さん。「『ヤクザ』という表現はまずいので『地元の有力者』という設定で引き受けます」と語るなど、監督をはじめ映画制作スタッフとの息もぴったりだったようです。

撮影当日は、厚岸町の町民の皆さんがエキストラとして喪服持参で国泰寺に集合しました。「まず2秒間まっすぐカメラのほうを見て、その後、横をぐっと見るような形でやってくれ」といった馮監督からの指示に、渡部さんや町民の皆さんは真剣に一所懸命演じたそうです。

映画が結ぶ観光交流

「映画を撮っている時は、その後の展開など想像もつきませんでした。釧路、阿寒を含めてこんなに注目されるようになるとは思ってもいなかった」とロケ地となったオホーツクや釧路地域の関係者は振り返ります。
この映画を観て北海道を訪れた中国人観光客は、「中国のすばらしい自然は山奥にあるけど、北海道は自然と人と産業がすぐそばで共存している。そのバランスがすばらしい」「日本に来て日本人のイメージが変わった」「接してくれる人はみんなやさしくていい人だし、景色もきれいで明るくて、来てみて好きになったよ」と口々に言います。また、映画の最後の場面で、ウーさんが知床旅情を歌い車を停めて泣くシーンについて、日本人の感情のあり方や、日本人と中国人の違いが中国で話題となったりもしました。

「映画を通じて、日本を知ったり好きになったり、日本人のことをもっと知ってくれたらとてもうれしい」と、釧路市の観光と宣伝を担当する渡部さんは、この映画との出会いを通じて、映画が国境を超えて人と人を結ぶ力を持つことを強く実感したようです。

人を動かす映画の力、旅の力

阿寒湖温泉周辺も映画の影響力を実感した地域です。

温泉街の【まりも銀座】にある『炉ばた浜っこ』は、映画の中では主人公達がカラオケを楽しむ『居酒屋四姉妹』として登場しています。「どんな方がお見えになっても必ず四姉妹のお店には行きたがります。そこでは楽しい時間が展開される。実際には四姉妹はいないのですけれど・・・」と語るのは鶴雅グループ社長の大西雅之さんです。大西さんが経営する『あかん鶴雅別荘鄙の座』もロケに使われました。

「旅行のきっかけは、とてもシンプル。100のプロモーションより1本の映画が人の心を動かすのですね。映画の持つ力はものすごい。アイヌ語で“イランカラプテ(こんにちは)”は直訳すると“あなたの心にそっと触れさせてください”という意味です。映画を観てやってきた旅人をこんな気持ちで迎えたいと、強く感じました。たくさんの中国からの旅人が訪れる今こそ、これまで以上に北海道のおもてなしの心を築き上げたい」と大西さんは語ってくれました。

自然豊かで美しい北海道の景色が映し出されているこの映画は、北海道を中国の人達に知っていただく機会であり、大きな架け橋となりました。