友好の贈り物は北海道の桜 ~心を結ぶ花と緑~
「日中友好の花を咲かせよう」。1972年9月、日中国交正常化を記念して、中国から日本への贈り物はパンダ、そして、日本から中国への贈り物は、北海道のオオヤマザクラとカラマツの苗木と決まりました。
北海道遠軽町で大切に育てられた苗木は、40年前に中国各地の公園に植えられ、今では中国の大地にしっかりと根付き、春には美しい花と緑が彩りを添えています。
丁寧に育てられた千本の苗木
国交正常化の実現に向けて、日中間で話し合いが行われていた当時、友好の贈り物は『記念樹』と決まってから、その樹の種類と苗木の手配が慎重に進められました。
選ばれた樹木は、日本人に広く愛されている『桜』と中国でも植林が盛んで寒冷地に強い『カラマツ』でした。苗木は、記念樹が植えられる予定の北京市周辺に気候や風土が似ている北海道で育成されたものということになりました。
選ばれた樹木は、日本人に広く愛されている『桜』と中国でも植林が盛んで寒冷地に強い『カラマツ』でした。苗木は、記念樹が植えられる予定の北京市周辺に気候や風土が似ている北海道で育成されたものということになりました。
選ばれたのは遠軽町で苗木づくりを営んでいた佐々木昌太郎さん(故人)の育てた苗木でした。佐々木さんは、寒冷地では苗木の育成が難しい『カラマツ』のパイオニアでもあり、1966年の全国苗畑品評会で農林大臣表彰を受賞するなど、苗木づくりの実績が認められての決定でした。
佐々木さんの長男の雅昭さんが、「政府から正式な要請があってからは、政府や道庁の職員の視察や細かい打ち合わせが続き大忙し。内密に苗木を選んで、大切に育てる作業を父はコツコツとやっていました」と当時の様子を説明してくれました。「生涯の夢が果たせる」と喜んでいた佐々木さんの姿が、きちんと整理された当時の写真や資料、新聞記事からも伺えます。
政府特別機で中国へ
苗木が中国に運ばれる日に向けて、佐々木さんは綿密に丁寧に作業を続けました。飛行機のコンテナの高さに収まるよう、高さ1.5mから1.8mの4年生『オオヤマザクラ』と3年生『カラマツ』から、病害虫がなく、姿、形がそろった苗木を千本ずつ選びました。植物防疫の関係から根の土を洗い流し、1本ずつ水苔で根をくるみ木肌が出ないよう、コモむしろで10本1束にして包むといった大変な手間がかけられました。
1972年10月28日、苗木の生長が停まる時期を待って、緑の友好特使である訪問団5名の手によって、午前6時30分羽田空港発の政府特別機により北京空港に運ばれました。この日のために丹精こめて苗木を育てあげた佐々木さんの姿もそこにはありました。
苗木の贈呈式は、翌日の午後3時から北京市内天壇公園の広場で、北京市民1,000人が参加して盛大に行われました。「日本でのパンダの歓迎と同じくらいに大歓迎されました」という佐々木さんのコメントが、当時の新聞にも掲載されていました。
長男の雅昭さんのご自宅には、輸送の際に苗木の品種を表示した紙が額に入れて飾られており、「今でも我が家の大切な宝物です」と、語っていました。
花咲く友好の桜
中国に到着した苗木は、苗畑に仮植されて越冬し、翌年の春に、北京市や天津市、瀋陽市、西安市などで『中日友好の森』として中国人民の手で植えられ大切に育てられました。
北京市の玉淵潭(ぎょくえんだん)公園には、北海道からのオオヤマザクラ1,000本のうちの180本が「植えられ、今ではそれらを含めて中国内外から植樹された合計3,000本の桜が咲き誇る中国随一の桜の名所『桜花園(おうかえん)』となっています。
公園内に設置された『桜花園』の石碑には〈1973年友好のオオヤマザクラをここに植える〉と刻まれています。
玉淵潭公園の桜は、24年後、さらに大きな友好の花を咲かせることになりました。遠軽町開基100年を記念して進められた国際友好の森づくり事業の一環として、1997年2月に佐々木雅昭さんが訪中し、中国側の許可を得て玉淵潭公園の桜の枝を持ち帰ることができました。里帰りしたオオヤマザクラの枝木は、北海道林業試験場でバイオ増殖された後、2001年、遠軽町の『国際友好の森』に平和・友好・理解へのメッセージを込めて、町民約300名の参加のもと、植樹されました。
日中国交正常化という大舞台での大きな役割を果たした遠軽町のオオヤマザクラは、再び故郷で『友好の証』として、しっかりと美しい花を咲かせることとなりました。この桜は『おかえり桜』と呼ばれ、今では遠軽町民をはじめ多くの北海道民に親しまれています。