日中国交正常化40周年 北海道・中国交流デジタル資料館

北海道と中国との交流の歴史や
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交流物語
友好

翁琪忠氏作

北海道・黒竜江省友好提携25周年を記念し、札幌在住の書道家、翁琪忠氏に書いていただいたものです。

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北海道と中国の交流の歴史を紹介する資料室です。

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北海道と中国の心温まる交流の物語を10のエピソードで紹介します。

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交流物語 北海道と中国の心温まる10のストーリー

つながる子ども達の笑顔 ~引き継がれた学校交流~

北海道の将来を担う子ども達にとって、外国の子ども達と交流し、異文化を肌で感じることは、国際的な視野を広げるとともに、自分達が住んでいる郷土を知る上でも大切なことです。釧路地域の酪農業が盛んな町で続けられている子ども達の交流について紹介します。

児童教育の観点から始まった国際交流

「標茶町の弥栄(いやさか)地区は、昔から中国との関係が深い地域です。地域の大半が酪農家で、祖父母と父母そして子ども達の三世代で暮らす大家族が大半を占めており、中国をよく知る祖父母と孫との会話がはずむ共通の話題はないかと考えていました。そう言った児童教育の観点から、中国の学校の子ども達との交流をぜひとも実現したかったのです」と標茶町副町長の森山豊さんは当時の様子を話してくれました。

住民課福祉係で福祉業務を担当していた1990年、森山さんは、北海道青年婦人国際交流センターの事業により北海道の青年代表として中国へ向かいました。そこで、当時、黒竜江省人民政府で国際交流を担当していた丹碩(たん・せき)さんと出会い、子ども達の交流について相談しました。森山さんの思いが丹さんに通じ、黒竜江省の教育委員会とのパイプを作ることに成功しました。まずは、言葉がわからなくてもできる交流から始めようと、1993年の秋、佳木斯(じゃむす)市孟家崗鎮(もんじゃかんちん)中心小学校と標茶町弥栄小学校の子ども達は、自分の書いた絵画を交換し、待望の子ども達の交流が始まりました。

中国の地で響きわたった校歌

1996年9月、北海道・黒竜江省友好提携10周年を記念して、中国を訪問した北海道代表団の中には、弥栄小学校の5年生、6年生合わせて8名の姿がありました。毎年絵画の交換を続けていた孟家崗鎮中心小学校を訪れて熱烈な歓迎を受けた子ども達は、初めて会ったにもかかわらず、すぐに打ち解けあいました。弥栄小学校の子ども達は、持参した手作りのペットボトル製のロケットをプレゼントし、弥栄小学校の校歌を斉唱し、そして互いに学芸会のように学習してきたことを発表しあいました。

「教育の一環で小学生を海外へ連れて行ったのは、道内では弥栄小学校が初めてではないでしょうか。まさか中国の地で弥栄小学校の校歌が響きわたるなんて想像もしていませんでした。ペットボトルロケットに関しては、飛行機の機内持ち込み荷物検査に圧縮空気ポンプが引っかかってしまって・・・。シルエットがライフルに見えたのでしょうか」と当時担当者として引率した森山さんは子ども達の楽しそうな様子を振り返っていました。

その後も弥栄小学校では、絵画の交換を続け、授業に中国訪問経験者を招いて中国のことを学ぶ機会を作るなどしました。弥栄地区の子ども達にとっては、中国が大変身近な国となりました。

弥栄小学校の廃校、そして標茶小学校としての交流再開

その後、2006年に弥栄小学校は生徒の減少で廃校となり、小さな学校の大きな中国との交流は一時途絶えていました。

北海道・黒竜江省友好提携25周年を迎えた2011年、長く続いていた子ども達の交流を何とか復活させようと、標茶町は再び動き始めました。統合されてしまったものの、今でも弥栄地区の子ども達が通う標茶小学校の子ども達が、孟家崗鎮中心小学校の子ども達に贈る絵画とビデオレターを制作し、道庁国際課を通じて黒竜江省を訪問する北海道代表団に託したのです。このことを知った孟家崗鎮中心小学校の子ども達も絵画と学校紹介の本を制作することにしました。両校の子ども達による絵画は、ハルビン市内で開催された友好提携25周年記念イベントの会場などに飾られ、その後、日中双方の小学校に届けられました。

孟家崗鎮中心小学校の子ども達の絵画は、黒竜江省出身で、道庁国際課に勤務する国際交流員の黄巧亮(こう・こうりょう)さんの手によって標茶小学校に届けられ、途切れていた子ども達の交流が見事に復活しました。

標茶高校とハルビン市朝鮮族第一中学校の交流

高校生も負けてはいられません。標茶高校の生徒達は、ハルビン市朝鮮族第一中学校と環境問題をテーマに意見交換を行いました。これは、2006年7月、北海道・黒竜江省友好提携20周年を記念した環境交流事業として、標茶高校の生徒4名が黒竜江省を訪問して実現しました。日頃から『釧路湿原再生プロジェクト』に取り組んできた標茶高校の生徒達が、調査を行ってきた釧路湿原の汚染の現状、水質浄化の方策についての提案、これまでの取組と成果などを、どうにか伝えようと身振り手振りを交えて発表。ハルビン市朝鮮族第一中学校も環境学習を重視していることから、環境問題に対する思いや熱意を伝え、お互いに学ぶ姿勢を認め合うことができ、大変意義のある交流会となりました。

参加者の一人である白川千恵さんは、「ハルビン市朝鮮族第一中学校のみんなは親交的でわいわいと楽しい感じがしました。言葉の違いに苦労しましたが、発表したことでわからない部分は積極的に質問してくれたので、きちんと伝えることができました」と当時を振り返りました。

標茶高校では、その後も、2007年9月にはハルビン第二職業高等学校、2008年9月には北京育英学校を訪問するなど、学校交流を続けています。

2007年の訪問に参加した山田亜由美さんは、「交流したみんなの中には、日本に興味を持っている人が多く、積極的に日本語で話しかけてくれたので、すぐに仲良くなることができました」と話してくれました。「居眠りや私語は一切無く姿勢よく授業を受けている姿を見て、自分たちとのレベルの差を感じました…」と話すのは守屋美紀さん。「英語の授業は全て英語で行い、休み時間には全員がグラウンドで体操をしていました」と山崎萌子さんは話してくれました。学生たちは、中国の生徒達が積極的に授業を受ける姿勢に刺激を受けたようです。

また、2008年の訪問に参加した安田恵さんと表友琴さんは、「日本のお土産文化を紹介しました。交流した仲間はいい人ばかりで、ジャニーズやアニメが好きだったので仲良く話せました」「英語が上手で驚きました」と口々に話してくれました。

これからの標茶の子ども達に望むこと

森山さんは、「取って付けたような交流ではなく、子ども達にはこの町のことをもっと知ってほしい。小さな町の子どもですから、外の世界を知るきっかけがありません。どこへ行っても堂々と生きていけるように多くの人と知り合って、もっと世界に飛び出していってほしいですね。姉妹都市提携は結んでいませんが、お互いを高めあえるような目的を持った交流を続けていくことが大切です。いつかまた、当時のように子ども達を中国に連れていきたいし、中国の子ども達にも来てもらえたらいいですね」とこれからの抱負について語っていました。

標茶町と黒竜江省の子ども達との絆は、様々な交流の形を経て、これからますます強まり、確かなものとなっていくでしょう。