公益社団法人 北海道国際交流・協力総合センター
HIECC/ハイエック(旧 社団法人北方圏センター)
Hokkaido International Exchange and Cooperation Center
公益社団法人
北海道国際交流・協力総合センター
Hokkaido International Exchange and Cooperation Center (HIECC)
北海道国際情報ネットワーク
平成29年度・第1回国際情勢セミナー
日ロ関係の展望~「日露経済協力」と「共同経済活動」の行方
日 時:2017年5月10日(水曜)15:00~17:30
場 所:北海道大学学術交流会館
主 催:公益社団法人北海道国際交流・協力総合センター(ハイエック)
NPO法人ロシア極東研、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター
後 援:北海道、札幌商工会議所、北海道新聞社など
*基調講演
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平成29年度・第1回国際情勢セミナー(PDF)
①下斗米伸夫 法政大学教授・スラブ・ユーラシア研究センター共同研究員
「日ロ関係史からみた首脳会談の成果と意義」
② 本田良一 北海道新聞社編集委員
「日ロ漁業の実態と共同経済活動」
*コメント
①岩下明裕 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授
②田畑伸一郎 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授
③望月喜市 北海道大学名誉教授
④朝妻幸雄 日露経済交流コンサルタント代表
⑤矢島隆志 日露エコノミックスセンター(株)代表取締役
基調講演Ⅰ
「日ロ関係史からみた首脳会談の成果と意義」(下斗米伸夫)
55年体制と日ソ交渉
いま、目まぐるしい形で日ロ関係が動いています。こういう時だからこそ、少し引いた歴史の流れから日ロ関係を位置づけたらよいのか、そういった角度から日頃考えていることを申し述べさせていただきます。
先日NHKドラマ「榎本武揚と日ロ交渉」の勉強会で気づいたことがあります。1875年の千島樺太交換条約を締結過程でロシアが北千島にこだわりその対象に入れるかどうかが問題になったようです。1940年にも日ソ間で中立条約を結ぶか不可侵条約を結ぶかの議論があった時モロトフ・ソ連外相が不可侵条約の条件に北千島の引渡を求めたのです。なぜ唐突な北千島要求か意味が分かりませんでした。榎本交渉を振り返って初めて、「こういうことだったのかと」と思いました。日ロ関係の深さと歴史の重さを体感した次第です。
日ロ関係には日米関係同様に深く長い歴史があります。その両国関係について、2011年の東日本震災後、日ロの研究者が日ロ間160年の歴史問題を整理する共同を研究しました。モスクワ国際関係大学のトルクノフ学長やパノフ大使など、日本から五百旗頭真先生などが参加しました。日ロ間でパラレル・ヒストリーを作ろうと、立場の違いは違いとして歴史を議論しました。意外にも成功し、一昨年その成果を日本語とロシア語で同時出版した(トルクノフ、五百旗頭、ストレリツォフ、下斗米編『日ロ関係史−パラレル・ヒストリーの挑戦』東大出版会、2015年)。前半はその成果をふまえ歴史の話をします。細かい話はこの本をお読み下さい。
日ロ関係史は、戦後に限っても、実り豊かと同時に、良く分からず、関連のつかめない一連の事態があります。1945年8月に帝国日本は崩壊し、ポスト帝国空間というべきものが現れた。ポツダム宣言での日本の領域は、大きな四島のほかは、「我々」、これは連合国という意味ですが、「我々の決定する諸小島」に限定されました。問題はその「我々」という米・ソの間の対立が出てまとまらなかった。小生は、冷戦は広島・長崎の核投下と並んで、ポスト日本帝国をめぐる地政学的対立が一因となったと理解しています。
朝鮮半島の38度線の問題と、日ロ間に国境線がない問題とが、同じ次元の問題として存在します。その後のアジアの悲劇、中国内戦や朝鮮戦争というアジア熱戦や、その後の冷戦が未決着であることが、現代日本を取り巻く国際環境を今でも構成しています。
そうした歴史で1953年3月のスターリン首相の死が大きな転機となった。その後フルシチョフやモロトフからなる集団指導体制の中で、平和共存の新路線が出てきます。7月に朝鮮戦争も休戦となる。朝鮮戦争の最中、日本は英米など西側多数派の国々とサンフランシスコ講和条約を結び、日本の領土についてある種の処理を行い、千島列島の「放棄」が決定される。同条約の第26条項が、署名していない国々も3年以内は欧米と同じ条件で署名できると規定しました。逆に言えば日本独立後3年たてば、未締結国は個別に平和条約を締結できることになる。それを見越し米国はアジア冷戦の体制を整えます。1955年4月、NSC(国家安全保障局)の対日政策という文書の中で、日本の米国基地の維持と安定運営のため、「穏健保守合同」という政治勢力の再編成が決められたという経緯がありました。
ちょうど1か月後に、元東大総長で、中ソを含め全面講和を唱えてきた南原繁等、日本の学術団がロシアと中国を2か月間訪問した。南原はモロトフ外務大臣と会い、日ソの全面講和、平和条約の締結が必要であることを強く訴えました。同時に日本軍とドイツ軍の高級将校が戦犯として収容されていたモスクワ郊外の都市イワノボに行き、捕虜となっている日本の戦犯たちを励ましたといういきさつもありました。今考えると、それがある意味で一つのターニングポイントになります。55年体制というゆえんです。
なかでも7月の中央委員会総会で新指導者となったフルシチョフ第一書記が、モロトフ外相等保守派に勝利しました。そのこともあってフルシチョフは、8月初めにロンドンでマリク全権を通じ、二島の引渡を日本側全権松本俊一に暗示する。これを受けた松本全権はしめたと思ったそうです。しかしその通りにはならなかった。そもそもこの二島返還の情報は外務省主流の妨害で鳩山総理の元に届かなかったことは有名な話です。保守合同で冷戦下の55年体制が形成されていく過程があった。政治勢力が鳩山民主党と吉田自由党が合同して自由民主党が生まれます。彼らは四島返還を決議します。そして野党も再編成され日本社会党が結成されます。わたしの見るところ、この領土問題を巡る55、56年のチャンスと混乱、その後60年間もそれを巡って日本国内の意見が平行線であったことの問題性は、すべてその辺に基本的問題が出尽くしていたと理解しています。
56年共同宣言の意義と限界
56年に何があったかは本田良一さんのご本(『証言北方領土交渉』中央公論新社、2016年)にも、朝日新聞の故若宮啓文さんの本(『ドキュメント北方領土交渉』筑摩選書、2016年)にも出ています。そこでは、日ロ関係のダイナミズムや問題性が、日米関係を背景とする「日日問題」でもあり、それがいまだに米ソ冷戦の影をひきずって、そして、我々はまだその完全処理に成功していないことを物語っています。そこにはいくつかポイントがあります。ひとつは、「北方領土」という表現が実は「四つの島」という固有名詞であるという言い方の問題性です。本来なら普通名詞であるはずの「北方領土」がなぜ固有名詞として扱われるに至ったのかと言えば、この当時沖縄などをめぐって、南方同胞援護法という法律が1956年に制定された背景があります。当時の条約局長下田武三が絡んでいます。彼により「北方領土は千島列島ではない固有の四島」というある種の政治的定義が与えられ、以来日本政府の公式解釈となります。以後、我々はいかに対応を迫られたか、つまり「四島か二島か」の問題はご存知のとおりです。
それでも同時に冷戦下でもこの問題をめぐって地政学的変化が起き、ほぼ17年ごとに日ソ関係にはチャンスが生じました。1956年のチャンスの後は、1973年の田中角栄首相時、ニクソンとキッシンジャー時代の米中接近とその後の日中関係の変化が日ソ関係を刺激します。またそれから17年後にはペレストロイカもあり、大きなチャンスがあるかに思われました。しかし、我々はついにソ連時代には、この領土問題を解決できなかった。
中国という地政学的な問題もありました。二極対立の冷戦が三極化した。中国が1964年にソ連との国境紛争に対峙したとき、当時の毛沢東は「北方領土は日本のものであり、ソ連が占領している」という立場をとりはじめました。中ソ対立がすでに顕在化しており、そういう地政学的な多元主義とでもいうべき状況がこの極東地域には生まれていました。
ロシアの内政と外交
それ以後の経過は時間の関係で、2014年のクリミア併合以降の状況に絞ります。クリミアをトランプ大統領は取るに足りない問題と言ったことがありますが、そうでない。ロシアとロシア人には重要な土地であったし、今でもそうです。そして日ロ間の領土問題も、クリミア問題に深く関係しているからです。択捉とウルップの間に国境線を引いた1855年の下田条約締結はクリミア戦争の最末期でした。ここでロシアは日本との国境画定をはかり、以降帝政ロシアは東方シフトをめざしたのです。
その90年後の1945年に「大祖国戦争」の終結が見えたとき、ヤルタ会談でスターリンとルーズベルトとチャーチルの連合国三首脳がクリミアで戦後処理を取り決めます。この時日本についても秘密条約のような形で千島の処分が決まったことは周知の通りです。
2014年危機の今、クリミアをめぐり東西が緊張しています。ロシアからすれば、自らの故地を取り戻しただけですが、西側は併合という表現で理解します。この国境線問題をどうするかがロシアと国際社会の最大の問題として制裁問題ともからんで浮上している。
プーチン・ロシアの内政と言う角度から考えます。クレムリン横に2016年11月、キエフ・ルーシを受洗させたウラジーミル大公の像が建ちましたが、現ロシアの保守的愛国主義の姿勢を示しています。プーチン大統領は来年3月の大統領選挙、5月に就任式を控えています。再選後のプーチンは2024年まで大統領任期がありますが、その後のロシアをどうするかという、次期エリートの選択過程もまた併行して進みます。プーチン後の新しいロシアの将来をどう考えるのかということでしょう。
背景にはウクライナ危機後のエネルギー価格の大幅下落、そして経済制裁があります。そうした過程で政治経済が刻々と変化し、エネルギーのような伝統的パラメーターよりも、人工頭脳とかITとかロボットとかの第四次産業的プロセスが急速に世界経済全体を動かし始めました。こうした挑戦にロシアがどう対応するのかということが考えられます。
その意味では、レックス・ティラーソン国務長官というエクソン・モービルのCEOだった人物が、米国外交の舵取りするのは非常に象徴的です。世界は地球温暖化や北極海の利用、シェール革命にどういう角度で向き合うかという課題に当面しています。これは単に米国とロシアだけでなく、極東の日本や韓国というエネルギー輸入国、そして中東のサウジアラビアなどの産油国との新しい関係が生みだすことにもなるわけです。後者はイスラム要因と密接に絡んでいます。
付言すれば、プーチン体制の性格が固まった2003年のユーコス事件にもエクソン・モービルが絡んでいます。同社がホドルコフスキーとの交渉でユーコス社の株式50%以上を獲得しようとしたことが、プーチンの危機感を招き、以後の戦略的・国家主義的経済運営の遠因となったようです。エクソン・モービルは「国家の中の国家」ともいわれるが、逆に、ロシアもロスネフチなどのエネルギー企業を「国家の中の国家」として再定義するプロセスが始まった。ロシアのエネルギー戦略的なものを主要な経済政策の中核に位置づけるということをプーチン大統領がやって、その戦略的な配置の中でロシアの政治経済の仕組全体が動いています。他方で米国はシェール革命で成功し、ただでさえ孤立主義的になってきたところに、シリア、中東危機、「パクス・アメリカーナ」の終焉、そして2017年1月の「アメリカ第一」を掲げるトランプ政権誕生という形でこれに対応しています。
ロシアの『脱欧入亜』
奇しくも朝鮮半島危機は、米ロが同時にアジア・シフトせざるを得ないという地政学的なパワー・シフトを物語っています。その意味で現在のアジア経済がもつダイナミズムとこれを取り巻く多極化とでもいう状況が進む中で、ロシアが2006年くらいからアジア・シフトしました。APECのウラジオストク開催とか、極東発展省の設立とか、そういう仕組みを三選されたプーチン大統領が選択したのです。中・ロの新しいパートナーシップを推し進めた大統領府長官セルゲイ・イワノフ氏の後任アントン・ヴァイノ氏は、東京勤務が長い人物で、その意味でロシア大統領府の長官に日本をよく知る人物が出てきたということもあります。東方シフト戦略の要になるのが自由港に指定されたウラジオストクです。ほかにも十数港が自由港になろうとしており、日本もそうした動きに対応すべきであろうと思います。そういったロシアの東方シフトとどう向き合うかが、日本外交の重要な課題となっています。グローバルに動いているヨーロッパが、いち早く中国の一帯一路と結びついているということは皆さんご存知のとおりです。
地政学というと東西関係あるいは南北関係と考えがちですが、北極圏というもうひとつのフロンティアがこれまた今年5月からダイナミックに動き出しました。北極協議会の議長国が、保守的だった米国から積極的なフィンランドに代わるというように、去年までのオバマ政権時代とは違う動きを始めています。6月3日、韓国で建造されたLNG船の命名式にプーチンも出席します(本誌月録ニュースを参照-編集部)。ヤマル半島のLNG基地がいよいよアジア市場にエネルギーを輸出する時代がやってきました。このLNG船は日本の商船会社が運航します。ロシアの『脱欧入亜』という時代がやってきました。
「ロシアの連邦外交概念」・クリミアと千島
プーチン外交がどう動くかということが、日本の外交や安全保障、ビジネスを考えるに重要となります。昨年の山口会談には、既にいろいろ話が出ていますが、その直前にロシアでは大統領が署名した「外交概念」という文書を出しています。これは2010年、2013年、2016年と出されていますが、そこに面白い表現があります。2010年にロシアは国境線を国際法的に画定すると初めていっていたのですが、この2010年はノルウェーとの間で海の国境線を最終画定した年でもあります。
2013年版の「外交概念」がこの表現を踏襲して国境線を国際法的に画定するとした時、じつはロシアはウクライナとの国境線を画定したばかりで、国際法的に国境線が決まっていないのは日本との間だけにとなりました。もっともその後ウクライナ紛争が生じます。それでも2016年11月末の「概念」では画定を「促進」するという表現になりました(26条e)。この間ウクライナ危機が生じ、クリール(千島)と並んでクリム(クリミア半島)は再度国際的にも国境が決まっていない対象となっています。
クリミアはロシアのアイデンティティにかわる土地と言いました。ヘルソネソスの聖堂は1030年ほど前にキエフ大公ウラジーミルが受洗した場所ですが、セバストーポリの黒海艦隊基地のすぐ隣です。プーチン政権のシンボリズムとアイデンティがからむわけです。前述のように今回の新しい「外交概念」は、国際法的に国境の画定するプロセスを加速すると表現しています。クリミア半島とクリール諸島の問題解決をロシアは加速しようとしていると理解できます。実は、昨秋以降米国でもウクライナでも、クリミア問題をどうするかの議論もありました。大統領がオバマ氏から変わるからです。昨年9月初代ウクライナ大統領クラフチューク氏が、クリミアはウクライナ固有の領土でないと主張し世界をおどろかせましたが、これも米国選挙を見据えてのロシアとの和解の動きと理解できます。
注目したいのはトランプ氏当選後、彼のロシア大使にも擬せられたキッシンジャー・アソシエイトの元外交官トーマス・グラハム氏の今年初めの論文でした。これでは、5年から10年かけてクリミア半島のロシア合法化を考えるという趣旨でした。彼はミンスク合意にも関係した人物です。その意味では米国とロシアの和解プロセスと日ロ関係の改善のプロセスがどういう形で諧調する(ハーモニーをなす)のか、非常に面白い問題です。もっとも米ロ関係のリセット、あるいはグランド・バーゲンとでもいうべきダイナミックなことを考えた人物が政権中枢からはずれたことで、現在は米ロ関係にペシミズムが広がっています。しかしFBI長官の解任などのニュースを見ると、米国の対ロ外交もむしろ内政の所産でもあり、これがどう動くは興味深いプロセスということです。
『突破口を開いた日ロ関係』
2016年のソチの首脳会談で8項目の経済交流が提案されましたが、このテタテと呼ばれる首脳同士のトップダウンの形をとる交渉方式は、それまでの主として外務省を中心とした積み上げ方式の外交、明治からの伝統的な外務省主導、戦後の対米ファースト外交のやり方とは違うプロセスが進行しています。すでに17回を数える両首脳の会談で、二人が何をどこまで合意しているのでしょうか。そうした首脳同士の会話の内容が漏れてこないことが、むしろ良いことなのかもしれません。もっとも、外交の民主化ということからは問題でして、しかるべき成果が出たときその公開が是非必要ですが。少なくとも、そういう形で両首脳が合意したことを下に下ろしていく、そういうプロセスがずっと続いています。
東方経済フォーラムという新しい中での両首脳の会合の定期化がさらにこれを保障しているし、昨年9月には日本内閣史上かつてないロシア担当大臣というものが生まれました。同時にトップ同士の合意とその履行過程には若干の時差があります。
プーチン大統領は再選時、日本のジャーナリストに「引き分け」という考えを示したわけですが、これがどういうものなのか。安倍総理の新しいアプローチの一つの側面が、いま議論している「共同経済活動」であると言われています。しかし、私の理解するところでは、そういうトップダウンで決めて下に下ろしていくというプロセスなので、もしかすると我々は二人が合意して話していることの少し遅れた成果を見ているのかもしれません。
その意味で山口会談には様々な評価がありますが、私は少し長期的に見る必要があると言う見解です。ソチで2016年5月に安倍首相が出した8項目提案に一言コメントします。第1項目の健康寿命の伸長ということは、実はクドリン元副首相が下書きを書いている今回の大統領の2030年に向けてのプログラムの中でも、ロシア人の平均寿命を76歳まで伸ばすとあり、これと対応しています。四番目のエネルギー協力は、この4月の日ロ首脳会談でパイプラインの話まで表に出ています。北海道の関係者だけでなく、いろいろな意味で世界経済における不安定化、日本のエネルギー供給の8割以上を占めてきた中東全体の政情が不安定化する中で、我々が将来のエネルギーをどう考えるかの問題です。石油やLNGではロシアがすでに日本のエネルギーの8%のシェアを有しているし、また、これからも伸びるであろうことは、我々にとっても重要なことだろうと思います。
地政学的にはロシアは良い意味でも悪い意味でも世界の超大国です。世界の1/8を占めるロシアは、いわば地政学の巧者なわけです。東西南北を見渡しながら外交をすること、それがロシアを世界の地政学ゲームの中での超大国としている。特に今は、北極海やアジアとの関係についても、新しい再考のプロセスが始まっています。今年1月になって千島列島の松輪島(マトゥア島)をどうやって安全保障上位置付けるかという話が出ています。今年の夏にもこの島に調査団を送り込むという。そういった北極海からオホーツク海、そして日本海というものが、冷戦の時代とは違う国際環境に置かれるようになってきました。
なにより、米国の国務長官がかつてのサハリン一の責任者として極東のエネルギー事情の問題の一番のエキスパートの一人であるということが、アジアの地政学と地形学の重要性、北海道を取り巻くいろいろな問題の重要性を示しているのであろうと思います。
「共同経済活動」の射程
共同経済活動にも色々な評価がある。山口会談で15日の夜に、安倍総理が「特別な制度」という言い方をしたとき、私が思いついたのは2010年にロシアがノルウェーと国境線を画定したその背景です。一つはノルウェーはNATOの原加盟国で、北極を経てオホーツク海にもつながっており、それだけでなくスタドオイルというノルウェーの国営エネルギー会社が、オホーツク海にもいろいろな形で関与しています。
そのこともあって山口会談で安倍総理が「特別な制度」と発言した時に、「これがスピッツベルゲン島をめぐるスヴァールバル条約と関係する」と翌日朝のNHKニュースで指摘しました。1920年に最初に国際連盟も関与してつくられた国際条約であって、現在は事実上ロシアとノルウェーとが二国間の国際条約で同島を運営しています。同島の主権は一応ノルウェーにあるが、アークティックウーゴル(北極海石炭)というロシアの石炭会社が共同経済活動をしている。単に石炭のみならず、スピッツベルゲン島という九州ほどの広さの島で、観光とか、最近はビール醸造とか、そういうことをやっています。共同経済活動をどうやってやるかという一つのモデルとなるでしょう。
ところで、国際法でいうコンドミニアムは共同主権、共同管理ですが、1957年の南極条約で南極の共同管理をするという国際合意がなされている。それ以外にも、二つ以上の国々が主権を主張する島について、どういう共同経済管理の枠組みが可能であるかは、国際法的にも新しい問題であると同時に、経験的にはいくつかの例があるということです。
NHKの岩田解説委員は、共同経済活動の交渉を一種の中間条約とみなすが(『外交』2017年)、私は、戦争終結の消極的な平和条約ではなく、平和友好条約みたいな枠組みが必要と考えており、そうしたものの内容に島の共同経済活動も入ってくるでしょう。
2017年の新展開
今年のプロセスはすでに展開中です。北海道の皆さんは、先進的な情報網なり、ローカルなネットワークを構築しており、東京に住むものも勉強になるわけですが、首脳会談は失敗だったとするコメンテーターでもマスコミでも多かったようです。しかし日ロ交渉のテンポは落ちていません。日ロの政治的、経済的な種々の動きはむしろ加速しているようです。3月の「2+2」に出席したロシア国防大臣セルゲイ・ショイグはアジア系のトゥバ人ですが、彼がG7国で日本を最初に訪れ、安全保障の議論をしたことは、G7の国々の中で日本との関係が重要であると認識していることを示しています。面白いのは、トランプ政権が、そうした動きを止めていないことです。オバマ政権の時はブレーキを何度もかけた。その点が新しい米ロ・日ロ関係の重要なポイントと思います。これから9月の東方経済フォーラムで双方にどういう関係ができあがるのか、それまでにどういった案件が積みあがってくるのか、メディアではエネルギーなど報道がなされているが、なかなか興味深いプロセスが進行中であるとだけ申し上げたいのです。それでも北方領土に関してはチャーター便問題であるとか、ビザなしでの交流ポイントが増えるとか、さらに先ほど言ったパイプラインであるといった案件があがってきています。
終わりに 問題提起にかえて
2018年5月は、奇しくもロシア大統領が決まる月ですが、これは日本におけるロシア年、ロシアにおける日本年が始まる月でもあります。日ロ間70数年間の因縁の問題は、幸か不幸か帝国日本の崩壊過程、とくに朝鮮半島の問題と非常に関係があると考えます。同時に日米関係で起きていることの関係を見る必要があります。米ロ関係が悪くなったほうが、日ロ関係がよくなるという人もいるが、私は米ロ関係と日ロ関係はどこかつながっていると理解しています。やはり平和条約は基本的に日本と連合国との関係であり、米ロ関係が悪い時に日ロ関係がよくなるとは思えません。これからの米ロ関係をみながら考える必要があるだろうと思います。
最後に70数年前の後始末としての講和条約ではなくて、むしろ平和友好、そして経済協力を組み込んだ新しいタイプの条約が必要なのではないでしょうか。このような問題提起をして私のつたない講演を終えたいと思います。
基調講演Ⅱ
「日ロ漁業の実態と共同経済活動」(本田良一)
北海道新聞の本田です。これからお話しすることは、北海道新聞の社論とは全く関係がないことを一言お断りしておきます。今、下斗米先生が、大きな歴史の流れの中で日ロ関係について話されましたが、私は地元で取材してきた立場から、ミクロの視点から、特に日ロ漁業の実態に関連して、共同経済活動がどうなるのかというお話をします。
北方四島との間の「中間ライン」があります。これは事実上の国境線ですが、我々も日本政府も「中間ライン」と呼んでいます。これからお話する北方四島水域の漁業というのは、この「中間ライン」から東の水域を巡る話になります。
昨年5月6日、ソチの会談でようやく日ロ交渉が動き出しました。ポイントは、新しいアプローチを採用することと、8項目の経済協力プランでした。9月と12月の首脳会談では、主に二つの合意がなされた。北方四島での共同経済活動に関する協議の開始と、もう一つは元島民の墓参手続きの簡素化です。今日は、共同経済活動をみていきます。
12月15日の首脳会談後のプレス向け声明で「共同経済活動に関する協議を開始することが、平和条約の締結にむけた重要な一歩になりうるということに関して、相互理解に達した」と発表されました。この「平和条約締結に向けた重要な一歩」というのは、領土問題が解決しないから平和条約を締結できないので、その領土問題解決のための重要な一歩になりうるということです。それがなぜ「重要な一歩」に成り得るのかについて、推測も含め大胆に考えると、新しいアプローチの目標は「二島返還プラスα」ではないか。このα部分は国後、択捉の共同管理、共同統治を狙っていると思います。安倍首相は「新しいなんとか」というのがお好きで、消費税延期のときも「新しい判断」と言いました。
本当に新しいかというと、過去の交渉の経緯を踏まえた提案ということができます。過去にあった「クナーゼ提案」と「並行協議」が新しいアプローチの前段階にあります。
クナーゼ提案
「クナーゼ提案」は、ソ連崩壊後、新生ロシアができ、三か月後の1992年の3月20日と21日に第一回日ロ外相会談が開かれ、その時ロシア側が非公式に提案した内容です。クナーゼは当時の外務次官。外務省飯倉公館2階にビジタールームがあって、ここにコズイレフ外相が宿泊していたのですが、外相会談後に「ちょっと話がある」とロシア側が声をかけて、ロシア側はコズイレフ外相とクナーゼ次官と通訳、日本側は渡辺美智雄外相と斎藤外務審議官と日本側通訳の3対3の非公式会合がもたれます。クナーゼが日本語で提案したのがクナーゼ提案です。これは4つの段階をたどります。①まず歯舞と色丹を引き渡す手続き等に合意する。これは56年宣言で平和条約締結後に二島を引き渡すというのは決まっているので、引き渡しの手続きや条件について話しましょうということです。②それが合意できたら協定を結びましょう。もちろん、引き渡すのは平和条約を結んだ後です。そこまで行ったら、③次は国後、択捉の扱いについて交渉を始めましょう。この扱いというのは、これはどっちの島なのか、帰属問題を話し合うということです。④これがまとまれば平和条約を結びましょうと。提案は非常に良く考えらえられており、引き渡し手続きの合意というのは、例えば、色丹島は当時三千人ほど居住していたため、もし日本に返還されるなら大陸へ戻りたいというロシア人から、その際の引越し費用とか、島の財産の補償や、大陸に戻ってアパートや仕事をどう確保てしてくれるのかという話が出るのに対し、日本側がそれでは一人当たり二万ドル、引っ越し費用は別に五千ドル出しますとなれば、住民の方では「うちは5人家族なので十万ドル以上…」というようになる。これは今のレートで1,100万円くらいです。当時のロシアの地方都市で2LDK、3LDKのアパートが300~400万円で買えたレベルです。そうすると、「それならいいな」と納得してくれるかもしれない。そうした補償をするための協定を結びましょうということです。実は、その経緯を国後や択捉に住んでいるロシア人がじっと見ているわけです。そうすると、国後と択捉の交渉の時に、うちも十万ドルもらった方がいいという住民が出てきます。ここはモスクワから一番遠い、ロシアの最果ての地です。色丹島には世界の果てという岬があるほどです。そういう風にやっていけば、交渉もスムーズにいくのではないかということで考えられていたと思われます。クナーゼさんはそこまで言いませんでしたが、私はそのように理解しています。
ただ、日本側でいうと問題は、二島の話で躓くと、なかなか国後、択捉の話に進まない。そして、これが最大の問題なのですが、国後と択捉は交渉してみないと分からない。四島が帰っている保証もない。それで、日本側はこの提案を無視した。無視した半年後にクナーゼさんは失脚。ロシアの対日方針もだんだん保守的になり、クナーゼ提案はなくなった。これが日本にとって最大のチャンスだったと町村信孝元外相も言っていました。
川奈提案から並行協議へ
その後、日本は四島返還で頑張って川奈提案というのを出します。これは四島が日本に帰ってくることを前提にしたもっとも柔軟な提案でしたがロシア側に拒否された。そうなるとロシアは二島だけ、日本はあくまで四島という、いつまでたっても平行線ということで、ここに出てきたのが「並行協議」という提案です。
2001年3月にイルクーツクで森喜朗元首相がプーチン大統領に提案した。これは、二つのテーブルを用意して、一方は歯舞と色丹の二島の返還について協議する、同時に他方のテーブルで国後と択捉の帰属問題を協議するというもの。二つのテーブルを同時並行的に進めていきましょう。妥結したら平和条約を結びましょうという提案だった。これはクナーゼ提案を下敷きにしたものです。森首相は、二つのテーブルを車の両輪のように転がしていってというように表現していました。その時、外務省に車の両輪というのは前輪と後輪ですか、それとも前の二つですかと聞いたのですが、前の二つですとの返事でした。
つまり、同時並行的に転がしていくのであればクナーゼ提案とは違い、国後と択捉の問題が後回しにされないメリットがある。ただ、クナーゼ提案と同じく国後と択捉の帰属先は交渉してみないと分からないわけで、こちらも四島返還の保証はないのです。
2001年3月にこの提案を受けたプーチン大統領はイエスでもノーでもなく、ロシア語で「パスモートリー」という「聞き置きました」と言った。その年10月に小泉首相に会ったプーチン大統領は、基本的に同意すると提案を受け入れた。
交渉の結果を予測すると、①四島が返還される、②歯舞・色丹の二島先行返還+国後・択捉の二島継続協議、③歯舞・色丹の二島返還プラスα、④歯舞・色丹の二島返還のみというパターンが考えられる。可能性を考えると、実際のところ①というのは、ロシアはなかなか納得しないでしょう。④というのは日本が納得しないでしょう。それでは②か③ということになるのですが、②というのは領土問題が決着していないため、ロシア側から見ると、歯舞と色丹は返したが、日本はさらに国後と択捉まで要求し、そのうち全千島を要求してくるのではないか。そこを譲歩したら次は南樺太をよこせといってくる。というような感じになってしまうわけです。そしてなにより領土問題が決着しないというのが最大の問題です。プーチンがこれを受け入れることは難しいだろう。並行協議は実質問題として、二島プラスαというのが、この落としどころではなかったかと考えられます。
結局、この日本側が提案した並行協議は、日本側が撤回します。2002年春に、現在は作家として活躍している佐藤優、当時の主任分析官が逮捕されて、その後に鈴木宗男さんが逮捕されて、その前に交渉を進めた東郷和彦欧州局長が海外逃亡してしまうというように、対ロ柔軟派と言われる人たちが全員パージさせられた。それで、いわゆる四島でなければだめだという四島派が勢力を盛り返して、並行協議は事実上撤回して消えてしまった。
新しいアプローチの狙い
その先にあるのがこの新しいアプローチで、何が新しいか説明はありませんが、「過去の経緯にこだわらない未来志向のアプローチ」ということです。
注目したい記事があります。2016年9月23日の読売新聞朝刊です。政府が「北方領土二島返還が最低条件、政府対ロ交渉で条件、平和条約四島帰属前提とせず」との方針を固めたと報じました。この「四島帰属前提とせず」というのは正確でなく、読売記事が正しければ「四島返還にこだわらない」とすべきです。なぜ並行協議が出てきたかといえば、4と2で行き詰まった中で、その落とし所をさがそうという「並行協議」が出てきた。だからロシアのプーチン大統領も交渉に乗ってきた。日本が四島にこだわる限り交渉は進まないということで、今まさに交渉が行われていること自体が、新しいアプローチが四島でなければだめだということを前提としていないと言えると思います。
二島プラスαという道筋がいくつかあって、それぞれについて考えてみると、クナーゼ提案というのは二島返還プラス二島共同管理(四島返還もあり)であり、並行協議というのも二島プラス二島共同管理(四島返還は困難)、新しいアプローチというのは四島の共同管理後に二島を返還してもらうおうと考えているのではないか。つまり、結論は二島返還プラス二島共同管理となるが、二島返還は保障されていない。いいかえると、どちらがリスクをとるのかという問題です。二島返還ということになればロシアの中で反発がおきる。二島返還も約束しないと言うことになれば日本側の世論が納得しない。つまり、クナーゼ提案、並行協議というのは二島が必ず帰ってくることになっていたのでロシア側にリスクがあった。新しいアプローチというのは日本側がリスクを負っていると言うことになるわけです。ですから去年の12月の首脳会談では、「せめて二島返還ぐらいは言えよな」というのが皆さんの気持ちだったと思うのですが、プーチンさんは言わなかった。それはロシア国内の批判を回避することになったのです。
共同経済活動の壁
共同経済活動は二つの壁があると思います。一つは法的枠組みの問題、もう一つはマーケットの問題です。共同経済活動の協議は、まず四島が対象だということ。ロシア語では「南クリール」です。そして、首脳会談後のプレス向け声明には、国際約束の締結を含む法的枠組みの諸問題を検討。これは条約を結びましょうという話ですね。その際に、領土問題に関する両国の立場を害さないということが条件になっている。
法的枠組みの問題なのですが、安倍さんは12月14日夜のぶらさがりで、「四島での日ロ両国の特別な制度の下での共同経済活動」という言い方をした。首脳会談後のNHKの番組では、「ロシア法でもなく日本法でもない特別な制度」と、言っています。ところが、プレス向け声明には「特別な制度」という言葉はありません。毎日新聞は事前に「特別な制度を提案」みたいなことを書いていたけれども出てこなかった。つまりロシア側に受け入れられなかったということだと思います。つまり、「ロシア法でもなく日本法でもない特別な制度」と安倍さんが言っていることと、プレス声明の両国の立場を害するものではないというのとでは、実は大きな、大きなギャップがあります。
法的枠組みの問題と日ロ漁業協定 この「立場を害するものではない」というのは、実は1977年5月27日に締結された日ソ漁業暫定協定にも同じような文言がある。
第8条に「…いずれの締約国の政府の立場や見解を害するものとみなしてはならない」という、いわゆるディスクレーマー(免責)条項がある。
これがどういうことで出てきたかと言えば、今から40年前の1977年、200海里という大問題が起きました。前年12月10日にソ連最高幹部会令で200海里漁業専管海域というのを宣言します。そして翌年2月24日ソ連閣僚会議が北方四島水域を含む200海里専管海域の線引きを決定する。これは3月1日に施行されるが、1ヶ月の余裕をもって3月31日までの操業を認めた。それまでに協定が結ばれるだろうという一部楽観論もあったが、協定は結ばれなかった。3月31日に日本漁船1,000隻が帰港を余儀なくされます。
交渉は、鈴木善幸農林大臣とイシコフ漁業大臣との間で1回、2回、3回と会談がおこなわれ、途中で園田官房長官が訪ソするが、それでも決まらないというように交渉は難航して、74日後にようやく妥結した。何が揉めたかと言えば、最大の争点というのは第1条に適用水域をどこにするかというについて、ソ連側は「ソ連閣僚会議に基づく適用水域の線引き」としたのに対し、日本側は具体的な文言のないものを期待した。ソ連側は北方四島を含めた200海里の具体的な線引きをした「閣僚会議」という言葉をいれたかった。
領土か魚か
実は、この交渉は日本がソ連の実効支配を認めるか認めないかということを迫られた最初の交渉となった。2回目の交渉の挫折後に鈴木農林水産相は、同行の記者団に「北洋の漁業権益と領土問題を両立させながら、ソ連との間に妥協を見いだすのは至難の問題だ。戦後30年既成事実化している現実を踏まえ、その現実を認めよと言っているソ連を相手にしての交渉だから…」と言っています。
日本側にすれば戦後の現実を認めろとソ連側に迫られた訳です。ここでいう北洋漁業の権益の中心にあったのは52年に再開された北洋サケ・マスなのです。母船16隻、独航船500隻余りという55年のピークを過ぎて少なくなっていた1976年時点でも、10船団332隻が出ていた。どれくらい人が乗っていたかというと、母船の缶詰製造ラインなどに300名、航海士など船の運航などに100名、だいたい400名が乗り込んでいた。サケ・マスを取る独航船30~40隻に約600人なので1船団千人ほど。これは中型の炭鉱の規模に匹敵する産業でした。一つの船団が消えると言うことは、中規模の炭鉱一つが閉山になるということだった。それだけ儲かる産業でした。
暫定漁業交渉は、「領土か魚か」を迫られた交渉で、結局、どうなったかといえば、第8条で「相互の関係における諸問題についてもいずれの締約国政府の立場または見解を害するものとみなしてはならない」という表現に落ち着いた。適用水域を定めた第1条では、結局、「ソ連政府の決定に従って」という文言を外せなかった。したがって、領土問題を担保するのはこの8条の文言だけしかない。同条の「相互の関係における諸問題についても…」というよく分からない文言も、本当は「漁業に限定する」という趣旨の文言を入れたかったが、それさえもできませんでした。ただ、鈴木善幸は、仮調印した夜に「困難な二つの命題を達成し、難交渉を解決することができた」と言います。この暫定協定は本協定になり、その内容は本協定に受け継がれ、今の漁業協定にも受け継がれています。
漁業問題と領土問題は両立できたかといえば、北方領土に囲まれた三角水域では、78年以降にカニが禁漁、86年以降は全面禁漁になり、その時約100隻が閉め出された。その後は拿捕・銃撃事件もあり、2006年には一人が亡くなっている。昨年も9月15日に稚内のサンマ漁船がチェックポイントで獲りすぎを理由に拿捕され40日間抑留され、400万円の罰金を支払って解放された。つまりソ連とロシアが実効支配を続けているということです。98年に結んだ「安全操業協定」はどうかといえば、よく管轄権問題、主権問題を棚上にしたと表現されるが、実は主権問題に触れていないだけ。どういうことかといえば、日本漁船が違反をした場合の取り決めは協定の中に書いてない。これを書くと、違反した場合の管轄権の問題に触れざるを得ないから書いてない。これを美しく言えば、日本漁船は違反操業をしないことが前提とした協定なので、ですから「信頼の協定」ともいわれている。ところが、実際には違反操業が起きて、2005年11月から何度も拿捕されている。
安全操業協定というのはかなりの協力金を支払っている。対サハリン技術支援ということで、毎年2億4千万円払っている。うち9,000万円はサハリンの日本センターの運営費なので、実質1億5千万円です。他にも払っているものがあってだいたい1億9千万円くらい払っています。操業枠は48隻なので、1隻だいたい400万円。一方水揚げはどうかといえば、2014年の実績で2億6千万円、1隻あたり550万円。したがって入漁料は実質72%となる。一般に入漁料は20~30%が限界なので、これは世界一高い入漁料といわれている。もう一つ日ロの枠組みがあって、「日ソ民間貝殻島昆布協定」というのがあり、これには「ソビエト社会主義共和国連邦の法律に従え」と書いてある。
このように全てが、ロシアの実効支配を前提に行われている。今年3月18日、初の共同経済活動の具体化に向けた日ロ両政府の協議の席上でも、モノグロフ外務次官は「ロシアの法律に矛盾しないことを条件に共同経済活動は実現されなければならない」と言っているが、現在行われている日ロの漁業協定は全てロシアの法律に矛盾しない形で実現されています。結局、法的枠組みの問題は、実質的にロシアの実効支配を認めることになる。
もう一つ、作ったものをどうするかのマーケットの問題がありますが、省略します。
結論として
共同経済活動の枠組みいうのは主権の問題に触れないということですが、事実上ロシアの主権を認めることになる。共同経済活動による生産物は日本に戻ってくると日本製品とマーケットで競合するので、ロシア国内で消費するか輸出することになる。
最終的な領土問題の解決は、「二島返還プラスα」ではなく、「二島返還プラス・マイナスα」になるのではないかというのが私の結論です。ただ、この結論が良いのか悪いのかは人それぞれ見方があると思います。どんな形でも解決した方が良いのではないか、例えば地元の根室の人たちはそう思うかも知れません。対中国という新しい要因を考えると、ロシアと早目に手を結んだ方が良いと考える人もいるかも知れません。
以上で、私からの報告を終わります。
円卓会議 討論者5名のコメント
コメント①:岩下明裕 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授
今日のテーマは経済ですが、北方領土について一言コメントをします。こういうコメントも無いと経済は進まないということで聞いてください。
先ほど、下斗米先生がノルウェーとロシアの国境確定と言われましたが、あれは国境ではなくて海域の境界設定でEEZ(排他的経済水域)のようなものです。大陸棚もある。つまり、言葉尻の問題ではなく、海の国境問題は、どうでも線が引けるので、どう決めても良い。島の問題は領有権で主権の問題なので、「国境」という言葉を使う、使わないというのは大事な問題で、柔軟にできる部分と、柔軟にやると大変なことになる部分とがあると思いました。
それから、クリミアの話で19世紀と21世紀の東方シフトのアナロジーは解るのですが、19世紀と21世紀の地政学については違うのはないでしょうか。陸域の支配力も海域の支配力も、また技術力も、どう繋がるのかやっぱりよくピンと来ません。
例えば、「ロシアは膨張していく国で、スターリンとプーチンは一緒だ」という議論がよくある。下斗米先生はそういうことは仰らないのですが、私は、ちょっと違うのではないかと危機感を感じます。アメリカ行くと、日本外交は「和」の外交で、聖徳太子の十七条の憲法にさかのぼるみたいな議論があります。しかし、それは違うでしょうと言いたくなるのと同じで、歴史が繋がっているとして議論するのは自由ですが、ちょっと意味が違うのではないかと…。
領土問題なんかやっていますと、お互いに尖閣や竹島は歴史的に我が物であると主張しますが、元々どっちも関心が無かったのです。尖閣も竹島も後から変わったのです。それはやはり海の問題が変わったからでしょう。北方領土に関してもやはり海の問題がある訳です。本田報告にあったように、そういうことはやはり議論していくと海の問題がある訳です。実際、私は十年くらい前に産経新聞に怒られて、朝日新聞から褒められた本(『北方領土問題―4でも0でも、2でもなく』〔中公新書、2005年〕)で、北方領土のEEZがどうなるか、島が二つ、三つ、四つ返還されたらどうなるのか、について初めて書きました。今だから言いますが、根室の方々に「島が返ってくると海についてはどのくらい主張できるか」について聞いたところ、考えたことが無いと言うので、一緒にシミュレーションをしたのがあの本です。
私の12月と5月の首脳会談に対するコメントを、北海道を盛り上げたいと思って、道新ではちょっと甘めに書きました。本音は、本日お配りした雑誌寄稿のコピーをご覧下さい。まず、安倍首相がやっている事の評価です。本田報告は、安倍首相の「新しいアプローチ」は、実は新しくはないと言いました。おそらく、最初は本田さんが言うようなことだったのだと思います。ところが、12月の首脳会談の前後から意味が変わり、その後の「新しいアプローチ」というのは、主権問題を外すことだと思います。ある雑誌には、今井尚哉(総理秘書官)という人が、最後まで抵抗した外務省を外して進めた訳です。それ以上は知りませんが、外された外務省も、日ロの交渉について情報が共有されていません。そういう状況で経済関係をどんどん進めていくと、私がお配りした資料に書いたように、どうせ北方領土問題は解決しないと皆が思ってしまうのではないでしょうか。
それならば、せめて首相が言っていることに乗っかって、根室は共同経済活動を実施し、元島民は一回でも多く墓参に行く、北海道も経済協力8項目を利用して極東出て行く、というように、皆で藁をも縋る思いで、領土はどうでも良いと思っているのではないか。そういうことを私は非常に危惧します。
プーチン大統領は、「東京宣言」は一切認めないと言っているらしい。そう考えた時、日本では56年宣言に戻って、そこから交渉すれば二島は返ってくるという判断をしていますが、プーチン大統領はずっと二島返還は無条件ではない、それも交渉であると言っています。11年前の2005年の小泉・プーチン会談は破綻して「共同声明」が出されなかった。安倍首相は、それを恐れて共同声明の代わりに「プレス向け声明」を出した。プーチン大統領は、繰り返し二島もタダでは返還しないと言っている。2005年の時には箝口令が敷かれて、当時は誰もこれを認識していなかった。しかし、そういう話は漏れる訳です。そこから考えるとプーチン大統領の立場はずっと同じなのです。ですから交渉は厳しいと考える訳です。
そこで「共同経済活動」をやるとどうなるか。それは、本田さんが言った通りだと思いますが、本田さんの2島返還プラスマイナス・アルファはまた甘い。私は1週間前に「歯舞プラス・アルファ」と言いましたが、これもちょっと自信が無い。ここまで来たら領土問題は、もう良いのではないかと思い始めています。ただ、そんなことは絶対言えない。そのくらい私は危機感を持っています。
そこでお二人に、「もう領土問題など本当は良いのではないですか」とお伺いしたい。特に下斗米先生は、安倍首相とプーチン大統領の12月の会談の後にNHKで「これは素晴らしい一歩だ。主権を乗り越えた」と述べていましたが、「主権を乗り越えた」というのは、もう領土の事は議論しないで我々は新しい利益を見つけるのだ。そういう段階まで来ているとお考えではないでしょうか。
コメント②:田畑伸一郎 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授
私は最近のロシア経済の変化とそれへの対応という視点から、日露の経済関係において何が出来るかという話をさせて貰いコメントに代えたい。
ロシア経済が良くない。石油価格低迷と経済制裁の二つが原因であることは存知の通りです。私が言いたいことは、この二つの要因が一過性のものではないということです。2000年代初めのロシア経済は非常に好調でした。あの状況に戻ることはないという認識を持つべきだろう。それほど大きくロシアを取り巻く状況が変化しました。石油価格の低迷は、やはり大きな原因として、下斗米先生も言われたシェール革命がある。石油価格が再び1バレル100ドルに戻ることは無い。中国などの需要増大が言われますが、中国も電気自動車や風力、太陽光発電に取り組み、世間がいうほど需要が増えないので、石油の値段は精々60ドルくらいで推移する状態が5年や10年は続くと考えます。
経済制裁も、トランプ大統領に替わる時に、何か劇的に状況が変わるとの憶測もあったようですが、最近のアメリカは、誰が決めているかは分からないが、外交方針は守られている感じがある。やはりロシアと欧米の関係が2014年以前に戻ることは考えられない。そうするとロシアへの大規模な投資は、難しいと思えます。こういう全く新しい状況がロシア経済にもつ意味は、一つにルーブル高は生じないことです。今まではルーブルが強くなり、輸入できたので、国内市場を輸入品が席巻しましたが、そういうことはもうない。もう一つは、ルーブル高が続く状況では、わざわざロシアに直接投資する必要がなかった。欧州のモノでも日本のモノでも買ってくれるので、ロシア国内に工場を作る必要がなく、輸出すれば良い状況でした。今後は直接投資するメリットが出てくる。実際14年と15年の対ロ直接投資はかなり落ち込みましたが、昨年(2016年)は330億ドルまで回復した。それにもう一つ。油価低迷の状況でロシアは新しい経済成長モデルを作らざるを得ない。以前の状況には戻れないので、真剣に新しいモデルを考えなければいけない。一つは「輸入代替」。輸入品に頼らず、国内で生産するために、製造業を発展させることが必要となる。
最後に、ロシア経済のそうした変化が、日露経済関係の今後にどのような意味をもつかです。ルーブル高ではないので、ロシア進出には旨味が出てくると思います。経済制裁があるため、大きな投資は難しい。下斗米先生は、第4次産業革命と言われましたが、ロシアがITで急に世界をリードするとは思えません。私は、ロシアは今後も資源を活かす形で、その加工とか、環境に優しい利用とか、そういう面でしか活路を見いだせないと思う。そういう分野で日本は十分に貢献できる、あるいは、ビジネスをやっていけると考えます。以上で、私のコメントを終えたいと思います。どうも、ありがとうございました。
コメント③:望月喜市 ロシア極東研理事・北海道大学名誉教授
私の主張は配布資料にあります。詳細はお読みください。私は本日のコメンテーターですが、お二人の報告内容を予め読んでいないので、私の主張を述べさせていただきます。
第一の主張は、プーチン氏と安倍氏のチームは、本気になって自らの政権在位中に平和条約を結ぼう、あるいは結ぶ可能性を作り次期政権に渡していくと公言しています。私は、信用して良いと思います。私は、安倍首相の内政は好きではないのですが、平和条約に関しては是非とも解決していただきたい。
第二に、私は経済を専門家として言いたいのですが、日露経済協力というのはマトリョーシカの様な構造を持っています。一番外が母親で、中に小さな子供が入れ子みたいに入っていて、日露経済協力にも同様の構造があります。一番外側はサハリン、つまり石油とガスと電力のエネルギー関係が一番外側にある。エネルギーは直近から、つまり中近東からではなく、隣のサハリンから持ってくる方がリスクは少なく、調達先も多角化できるメリットがある。ガスは現在、液化天然ガスで入りますが、液化せず、生ガスで持ってくる。この問題は朝倉堅五さんが非常に綿密な論文に書いています。今そのチャンスなので、是非これを実現したい。電力は、日本の法律があって、おいそれとは行かないけれども、経済的には非常に安い電力を買うことができる。そのような相対的に安い3つの主要エネルギーがサハリンから輸入される(可能性が)ありますから、北海道の経済には非常にプラスで、こういう安い電力やガスや石油を使って、北海道の経済を、つまり中小企業を起業する潜在的チャンスを活かすべきです。
マトリョーシカの第二の層は、中小企業関係であり、第三層は貿易・投資関係です。それぞれについて、論ずべきですが、時間の関係で省略します。次に、結論的な事ですが、要するに四島か二島かについては、私は二島プラスαの論者で国後と択捉は帰らないと思う。国後と択捉はロシアにとり、軍事的・経済的に日増しに価値が増えている。国後と択捉に固執すべきではなく、潔くこれは要らないとし、むしろ返還が約束されている歯舞と色丹に関して、もっと早く交渉を始めたら良い。これが、解決可能性のあるリアリティを持った選択肢であると考えています。
プーチン氏は対日関係を重視しているようです。日露の経済関係は発展していますが、プーチン氏に言わせるとまだまだ弱く、中国と比べても、日露の経済関係がもっともっと大きくならないと、信頼関係の醸成に結びつかないという風に言っています。
最後に、よく「食い逃げ論」がありますが、私はこれには同調しません。つまり、ビジネスは民間ベースで始まっている訳で、政府が幾らやれやれと言ってもだめなのです。企業家は、ちゃんと計算に基づいて、メリットがあるならやるがメリットが無いならやらないと、市場経済の論理が働いている訳です。そういう意味で「食い逃げ論」というのはおかしいと考えています。以上です。どうもありがとうございます。
コメント④:朝妻幸雄 日露経済交流コンサルタント代表
私は、実際にビジネスをロシアで推進している立場から、いわゆる日露の経済協力について若干コメントさせていただきます。
まず、現地の経済状況です。実は4月末にも今年2度目の訪露をしてきました。去年も実は5回ほど行っていますが、メディアその他を通じて我々日本人が感じているほど、ロシアの経済は決して悪くはないと述べておきたく思います。去年の12月15、16日の安倍・プーチン会談のあと、日露の経済関係は画期的な変化が始まっています。この事実も認めなければなりません。政府主導で日露の経済関係がポジティブトレンドに変わってきています。各論は別な機会に譲りますが、申し上げたいことはこの機会を出来るだけ利用していかなければならないと感じています。
次に経済協力プランの8項目です。8項目のうち、3番目「中小企業交流・協力の抜本的解決」、8番目「人的交流の抜本的拡大」が特に重要です。二つが特に重要なのは、他の1,2,4,5,6,7はどれも大企業絡みの案件だからです。大企業は市場調査能力もあり、支店がモスクワあるなど、放っておいてもやれるし、今もやっているということです。大事な分野は殆ど進んでいない中小企業同士のビジネスです。
そこで、一連の8項目提案に絡んだ、民間経済協力に関する協定ですか。80項目ほど締結されている訳です。中身を丁寧に見ていくと、何も12月15、16日の首脳会談以降にできたものではなく、以前からずっとやってきたものを集めてリストにしただけなのです。中小企業交流に関するものは入っていない。第3番目に関するものはJETROが包括的に「日露中小企業の交流と協力の抜本的拡大」という形で署名したものがたった一つあるだけです。これも政府間包括協定です。政府主導のアプローチは歓迎すべきですが、その中身はすべこれから作っていかなければなりません。その具体化に向けて政府もJETROを中心に真剣に取り組む必要があります。問題は民間が真剣にロシア市場を見つめることです。
そうした点を痛感しているところです。
もう一点、第8番目の「人的交流の抜本的拡大」です。私は長年、日露関係を見てきましたが、領土問題にしても、その他の問題にしても、日ロ関係がなかなか進展を見ないのは、両国の国民同士の相互理解がほとんど進んでいないことが根本理由と思っています。
両国の旅行者数を見ても歴然です。中国からの訪日旅行者数は約637万人もいますが、ロシアからの訪日旅行者数は約5万5千人で百分の一以下です。サハリンと北海道の距離は42キロしかく、物理的には、日本は中国よりもロシアに近い国です。しかし、日本とロシアは、お互いの交流が全くできていない。何故かといえば、日本人がロシアというと、遠く離れたモスクワとサンクトペテルブルグしか見ていない。隣国という意識を持っていないのです。まずそこから抜本的に変えていく必要があると思います。そういう意味で、私は第8番目が大変重要であるということを申し上げている訳です。
それ以外は、お手元の配布資料にざっくり書いてございます。お時間ある時に是非ご覧下さい。という訳で、私のコメントに変えさせて戴きます。ありがとうございました。
コメント⑤:矢島隆志 日露エコノミクスセンター代表取締役
私は東京から朝着いたばかりで、お二方の意見も今日初めてお聞きしました。日露経済協力について、少し私の知っている範囲のことをコメントさせていただきたく思います。
まず、経済協力8項目の方が、どちらかと言えば東京サイドでは関心の高いことでして、実はこれがかなり進行しているのが現状です。例えば、経済協力の第2番目の「快適・清潔で住みやすく、活動しやすい都市作り」という項目があります。これも具体的に、対象が中央部のヴォロネジと、極東のウラジオストクという二つに絞られていて、既にマスタープランができています。これは国交省の所管ですが、このマスタープランに基づき、既に2回の会議が開かれ、50数社の企業がロシア側と議論をしています。具体的には、交通信号のコントロールとか、住宅の建設、廃棄物処理の処理場の建設などの、具体的なプロジェクトが既にタイムテーブルに乗っています。こういう状況で、前回の議論の場に私も出たのですけども、ロシア側は早くこれを完成させて自分たちの持ち札の一つにしたいと考えています。日本側は、それはちょっとスケジュール的に難しいというようなやり取りがあったという状況になっています。
現在、ウラジオストクのプランが、その後かなり詰められていて、次の会議の場ではウラジオストクのある沿海地方から、7つの具体的なプロジェクトで、日本企業を公募して欲しいとの要望が出ています。具体的には、魚市場を新設する建設に参加して欲しいとか、立体駐車場を作るプロジェクトに参加して欲しいとか、それからユーティリティのネットワークを作る件で、もうマスタープランで決まったものですが、これに参加する企業を募って欲しいというような形で7つの項目について具体的な案が出ているという状況です。
私の知るかぎり、こういう事業に参加する企業は、今までほとんどロシアに出たことのない企業が中心です。決して大企業ではないが中堅よりちょっと上の企業が、新たにロシアに対して意欲を示している状況があり、それがいろいろなプロジェクトに広がってきています。こういうプロセスを見ると、今まで政経不可分という状況で経済的なものが単独ではなかなか動けなかった状況が、拡大均衡という状況で経済と並行して政治が動く、政治と並行して経済が動く、というように別々な動きが見られるようになってきたのが、大きな注目すべきところではないかと思います。そういう意味では、こういう関係が新しい日露関係を作っていく一つの大きな要素になっていくのではないかと私は思っています。それが新しい日露関係の基盤になるという、これは下斗米先生が仰っている新しい日露関係と一致しているかどうかは別として、新しい日露関係がどんどん構築されている感じがします。今まであったような、ロシアに対するアレルギーが非常に低下してきて、そしてロシアに進出することに余り躊躇しない企業が沢山出てきているという状況は、今までにないような新しい状況ではないかと感じています。そうした点もどうお考えになっているのか、これもお聞きしたい点です。という事で私のコメントを終わらせていただきます。